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ノート:天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会

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各県予選記事への外部リンクについて

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現存する各県予選大会の記事に本大会の紹介HPへのリンクをあちこちに貼り付けている方がいますが、これは、不要なのではないでしょうか?今回の天皇杯に限らず、wikipediaの記事を宣伝や便利サイトと同一に考えて編集する人が多いような気がしますが、今回もそういう感覚での編集ではないでしょうか?で、それは別としても、関連項目で各予選大会の記事から天皇杯そのものへの誘導はされているので、各県大会で本大会のHPの紹介はする必要ない(各記事で関連外部リンクを誘導するのはやりすぎ・相応しくない)と感じています。本大会の記事でリンクされていれば必要十分と思うのですが、各位いかがでしょうか?--陸奥 2007年9月26日 (水) 22:13 (UTC)[返信]

出場回数について

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第79回大会以降の協会が発表した出場回数を基に各チームごとにカウントしました。(1クラブにつき複数チームの出場例があるので、以下、すべてチームとする)

Jリーグ所属各チーム
各チームの前身または母体となったチームの出場回数を含む。棄権は出場回数に含めない。
  • 札幌(東芝を含む)
  • 仙台(東北電力、ブランメル仙台を含む)
  • 山形(山形日本電気、NEC山形を含む)
  • 鹿島(住友金属を含む)
  • 水戸(プリマハム土浦を含む)
  • 草津(以前の出場歴なし
  • 浦和(三菱重工、三菱自動車を含む)
  • 大宮(NTT関東を含む)
  • 千葉・市原(古河電工、JR古河を含む、棄権1を除く)
  • 柏(日立製作所を含む)
  • F東京(東京ガスを含む)
  • 東京V・V川崎(読売クラブを含む)
  • 川崎F(富士通、富士通川崎を含む)
  • 横浜FM・横浜M(日産自動車を含む)
  • 横浜FC(以前の出場歴なし、横浜Fは含まない)
  • 横浜F(全日空クラブを含む)
  • 湘南・平塚(藤和不動産、フジタ工業、フジタを含む)
  • 甲府(甲府クラブを含む)
  • 新潟(新潟イレブンを含む)
  • 清水(以前の出場歴なし
  • 磐田(ヤマハ発動機を含む)
  • 名古屋(トヨタ自動車を含む)
  • 京都(京都紫光クラブを含む)
  • G大阪(松下電器を含む)
  • C大阪(ヤンマーディーゼルを含む)
  • 神戸(川崎製鉄水島、川崎製鉄を含む)
  • 広島(東洋工業、マツダを含む)
  • 徳島(大塚製薬を含む)
  • 愛媛(以前の出場歴なし
  • 福岡(中央防犯、藤枝ブルックス、福岡ブルックスを含む)
  • 鳥栖(PJMフューチャーズ、鳥栖フューチャーズを含む)
  • 大分(大分トリニティ、大分FCを含む)
  • FC岐阜(以前の出場歴なし)※新加入
  • ロッソ熊本(NTT西日本熊本、アルエット熊本を含む)※新加入
大学チーム
関西大学と関西学院大学の出場回数より全関大や関学クラブなどの学生OB混成チームは含まないと考える。
  • 慶應義塾大学(BRB、全慶大など)
  • 早稲田大学(WMW、全早大など)
  • 中央大学(中大クラブ)
  • 関西大学(全関大、関大クラブなど)
  • 関西学院大学(全関学、関学クラブなど)
筑波大学の出場回数より前身の大学を含むと考える。
  • 筑波大学(東京文理大、東京教育大)
  • 三重中京大学(松阪大を含む)
  • 広島大学(不明1を含む※第79回大会で4回目の出場と発表)
地域代表チーム
クラブ名の変更等が原因で記録を取り違え、出場回数が訂正された例(第79回大会以降)
  • 韮崎アストロス(※第79回大会で3回目の出場と発表されたが、後に韮葉クラブ時代の2回を加える)
  • 鹿屋体大クラブ(※第79回大会で初出場だが、鹿屋体育大学と記録を取り違え)
社名変更やクラブ組織変更等でチーム名が変更になった例(第79回大会以降)
  • ノルブリッツ北海道(北海道電力、ほくでんを含む)
  • ビアンコーネ福島(ノーザンピークス郡山を含む)
  • アルテ高崎(フォルトゥナ、群馬ホリコシ、FCホリコシを含む)
  • 埼玉SC(埼玉教員を含む)
  • JAPANサッカーカレッジ(アップルスポーツカレッジを含む)
  • YKK AP(YKKを含む)
  • アローズ北陸(北陸電力を含む)
  • ツェーゲン金沢(金沢SCを含む)
  • FC刈谷(日本電装、デンソーを含む)
  • ジヤトコトランステクノロジー(ジヤトコを含む)
  • バンディオンセ神戸(兵庫教員を含む)
  • ガイナーレ鳥取(SC鳥取を含む)
  • レノファ山口(山口教員を含む)
  • カマタマーレ讃岐(香川紫雲、サンライフ、高松FCを含む)
  • 南国高知FC(ひまわり牛乳南国を含む)
  • サン宮崎(プロフェソール宮崎を含む)

--Dabbler 2008年2月3日 (日) 12:26 (UTC) --Dabbler 2008年2月4日 (月) 16:09 (UTC)

ACL出場資格について

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「規定改定によりアマチームは出られない」と書いて、明確なソースがないということでコメントアウトにされたものです。
この記事を元にそう書いたのですが、早とちりでした。
申し訳ありません。 --125.201.72.53 2009年2月27日 (金) 16:03 (UTC)[返信]

呪いについて

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出典要求から半年以上経過していたため[1]と除去しました。ブログではそれなりに言及されているようですが[2]、出典とするのは難しそうです。--fromm 2009年10月11日 (日) 09:51 (UTC)[返信]

各年度記事の大会名称について

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現在、第15回(1935年度)大会から第26回(1946年度)大会までの記事名が「全日本総合蹴球選手権大会」となっていますが(例:第26回全日本蹴球選手権大会)、大いに疑問があります。

「サッカーマガジン」1968年5月号掲載の轡田三男「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (4)」によれば、1935年大会は「兼第1回全日本総合選手権大会」とあります。本文によれば、1921年に始まった全日本選手権(当時は全国優勝競技会と呼称)は、やがて明治神宮大会を兼ねるようになったが、その後に神宮大会が隔年開催となってからは、神宮大会を開催しない年は単独で全国優勝競技大会が開催されるようになった。そして1935年からは新たに「全日本総合選手権大会」が開始された。これまでずっと全日本選手権の優勝チームに授与されてきたFA杯は引き続き神宮大会の優勝チームの手に渡され、全日本総合選手権大会の優勝チームにはそれとは別にJFA杯が授与され、「当然,どちらが正統かという疑問も出るだろうが,創始以来のFA杯にはこだわらず,協会のこれに対する気構えからも,名実ともにこのほうを全日本選手権大会の正統とすることになっている」。1935年以後は「総合」の側が「正統」というのはJFAによる歴代優勝チーム( http://www.jfa.or.jp/match/matches/2008/tennouhai/topics/history.html )をみれば明らかですね。

「サッカーマガジン」1968年6月号および7月号の同連載によれば、1936年大会は「第2回全日本総合選手権大会」、以降1940年の「第6回全日本総合選手権大会」まで順番にカウントされています。なお開催されなかった1941年から1945年の回の大会名については言及されていません。そして1946年大会については「帝大LBの得た朝日盾には「復興第1回全日本選手権大会」と刻まれてあった」とあります。

JFA機関誌の「蹴球 第三巻 第三號」( http://www.11plus.jp/history/pdf/syukyu03/03.pdf )でも、1935年大会については「第1回全日本綜合選手權大會」として言及されています。

1987年発行の「天皇杯65年史」では、1935年大会についてp.90にて「この年の全日本は「全日本総合選手権」を兼ねることになった。以後、第2次大戦前の全日本選手権はずっと「総合」を兼ねて行われ(…)「総合」の出現に伴い、FA杯は明治神宮体育大会(兼全国地方対抗)の優勝チームに授与、全日本選手権には日本蹴球協会杯が贈られた」、1936年1946年大会についてはp.112に「大会の名称は「復興第1回全日本選手権大会」と銘打たれた」とあります。--Zemarcelo会話) 2014年6月1日 (日) 08:51 (UTC) 一部修正--Zemarcelo会話2014年6月14日 (土) 03:40 (UTC)[返信]

コメント 要は天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会#大会名変遷にある名称へ記事名を変更するということでしょうか。なお、古い時代の天皇杯の記事の初版の多くを、投稿ブロック依頼を受けた利用者:さんさんさんさん会話 / 投稿記録 / 記録 なるユーザーが手掛けていますので、現記事名に確固たる根拠は乏しいと個人的に考えていますが。--Kanko3131会話2014年6月7日 (土) 00:53 (UTC)[返信]
コメント 各種資料で細部が異なっていたりして確信が持てない回もありますので、便宜的ではありますが1921年の第1回大会から順にカウントする記事名が良いのかなと悩んでいます。記事名と実際の名称的なギャップについては冒頭文の解説でフォローするような形ですね。まあ少なくとも現在の「第15回全日本総合蹴球選手権大会」という記事名だと、明白な誤りなので、なんとかしなければならないのですが。--Zemarcelo会話2014年6月12日 (木) 08:31 (UTC)[返信]
質問 改名そのものには基本的に賛成ですが、改名後の記事名に関して質問。
些細なことではありますが、仮に記事名を「第◯回全日本総合選手権大会」とした場合、同じように(正式には種目名のない)「全日本総合選手権大会」を名乗っている全国大会(具体的にはバドミントンの例があります。記事名は「全日本総合バドミントン選手権大会」となっていますが)との判別が困難になるような気がします。となると、記事名としては例えば「第◯回全日本総合選手権大会 (サッカー)」みたいな記事名になり得るのかな、とも思いますが、このあたりは如何お考えでしょうか。--Bsx会話2014年6月12日 (木) 11:10 (UTC)[返信]
コメント 上に示した出典はサッカー系の媒体であるため記述が煩雑になるのを避けるために「サッカー」ないし「蹴球」を除いて記述しているだけだろうと理解しています。--Zemarcelo会話2014年6月13日 (金) 02:47 (UTC)[返信]
コメント となると、記事名はどのようなものを想定しておられるのでしょう?「蹴球」を加えるとすれば今の記事名と変わらない気もしますが…--Bsx会話2014年6月13日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
コメント 現状の記事名では数字の部分に特に問題があります。たとえば1935年度大会は、「全日本総合選手権大会」の「第1回」として開催された「全日本選手権大会」の「第15回」であり、「全日本総合選手権大会」の「第15回」ではなかった、ということです。それが第15回全日本総合蹴球選手権大会という記事名になっているのは、立項者による誤謬があったのだと思われます。
これを「第1回全日本総合蹴球選手権大会」とするか、記事名は「第15回全日本サッカー選手権大会」として冒頭に解説を加えるか、どちらが適切かは悩みどころです。私自身はどちらかといえば後者寄りです。大会名が判然としないものもあるので、便宜的に一律に揃えた方が良いでのはないかという考えからです。たとえば大会名の「蹴球」が「サッカー」になったのもどの回からか確認できなかったりします(現在、天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会#大会名変遷という節がありますが、出典元とされている「天皇杯65年史」の該当ページをあたっても、第29回から「蹴球」から「サッカー」に変わったとは明示されていません。同ページ内に引用されている新聞記事の画像内に「全日本サッカー選手権大会」という文字がみえるため、この年から大会が改名されたと同節の編集者は考えているのでしょうか)。この件についてまた別の出典をお持ちの方がおられましたら、是非ともご教示ください。--Zemarcelo会話2014年6月14日 (土) 03:40 (UTC)[返信]

コメント おそらく私が該当する「大会名変遷」節で記述をおこなった者だと思いますが、当時そう思い込んだのだと思います。その後、いろいろと資料をあさるうちに各大会名について間違った記述になってしまっているかもしれないと思いながらも、いつからどう変わったかについて確証がもてずに、そのままになってしまっているものなので、該当の記述・出典についてはそれにとらわれず検証してくださるようお願い致します。なお、改名には反対いたしません。また、該当節記述の当事者としてなんとかしろというのであればご協力いたします。--Dabbler会話2014年6月14日 (土) 05:02 (UTC)[返信]

(コメント)戦前の正式名称なら朝日新聞社発行『運動年間』である程度追えますよ。ただ名称云々より、初版書いた人がものすごいいい加減な仕事してるのでスコアやチーム名はもう一度確かめた方がいいかと思います。--M9106TB会話2014年8月2日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

各年記事の改名提案

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第1回から第30回大会の記事について、一括で第○○回天皇杯全日本サッカー選手権大会というフォーマットへの改名を提案します。

現在の記事名は明らかに誤った名称で立項されたまま放置されているものが殆どであり、一例をあげるならば、現在ウィキペディア日本語版において第8回ア式蹴球全国優勝大会の記事名で立項されている回は「当時の記録では,この大会は「第7回全日本選手権大会」となっていた。これは大正15年の第6回大会が中止となったためである。中止の年次を回数に加えるようになったのは後のことで,当時は,中止を年次に加えなかったため,年次回数が違ってきているのである」(轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (3)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年3月号 No.22)とあり、また第15回全日本総合蹴球選手権大会 の記事名で立項されている回は、同年、新たに発足した「全日本綜合(または総合)選手権大会」の第1回大会として開催されたものであり(轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (4)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年5月号 No.24)、第26回全日本蹴球選手権大会の記事名で立項されている回は「復興(または復活)第1回全日本選手権大会」として開催されました(轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (4)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号 No.27)。

改名対象の記事は以下の30です。

--Zemarcelo会話2015年5月3日 (日) 22:00 (UTC)[返信]

  • コメント 現時点ではこの提案には賛成しかねると考えていますが、より具体的なお考え等を聞かせていただければ賛成できるかもしれませんので、コメントという形で疑問点などを問わさせていただきます。5日ほど待って賛成できる理由が無ければ改めて反対票を投じさせていただくことがあります。
  • まず30記事一括で「第○○回天皇杯全日本サッカー選手権大会」に改名することについては、Wikipedia:記事名の付け方から見て問題があると思います。「・認知度が高い ・正式名称」といった基本条件はクリアできているのでしょうか? どちらにも反しているように私には思えます。
  • その上で仮に一括して改名しない場合に個々の記事をどうすべきかという点について付記しておきますと(以下触れてないものは現在を維持で)
    • 第8回ア式蹴球全国優勝大会については、現在の文献で第8回として数えているのであれば、このままで問題無いと思います。
    • 第15回全日本総合蹴球選手権大会については「第1回全日本綜合蹴球選手権大会」へ、以下第16回から第20回までを「第2回から第6回」へ、改名するのが好ましいと考えます。一部記事では既に、本文がそうなっていて記事名に齟齬が出ているものがありますね。ア式から天皇杯につながる通算で第何回にあたるかは本文冒頭で触れればよいでしょう。
    • 第21回全日本総合蹴球選手権大会から第25回全日本総合蹴球選手権大会の中止になった分については、回数が付されたのが後年であることからして、違和感はありますが「・認知度が高い」という点では現在のまま残置するしかなさそうですかね。
    • 第26回全日本蹴球選手権大会については「第1回全日本蹴球選手権大会」を基本にして、その前に「復活」あるいは「復興」とつけるべきか否かが議論になるかと思います。この2文字は単なるスローガンであって「・正式名称」ではないのではないか、との疑いがあります。ただし正式名称でなくても認知度が高く明快であれば記事名にすることはできますね。
    • 中止になった第27回と第28回は、「全日本蹴球選手権大会」の第2回及び第3回にあたり、現在の「全日本サッカー選手権大会」は不適切ではないかとの疑いがありますが、開催されてなくて当時こう呼ばれてたってものもなければ、現時点の確たる出典の扱いに準じるしか無くて、それで現在の名前に分類されてればそのまま残置がいいかと思います。
  • いかがでしょうか。--SuperTheSonic会話2015年5月4日 (月) 07:38 (UTC)[返信]
貴重なご意見、ありがとうございます。
まず「・正式名称」についてですが、文献ごとに「全国/全日本」「蹴球/サツカー/ア式蹴球」「優勝戦/優勝競技会」などが混在しており、1935年度第15回以降についても「綜合(総合)」の有無がまちまちであることから、「正式名称」なるものの特定が困難であり、それゆえに特定には多分に推測を含むものとなってしまい、独自研究のおそれがあると判断しました。独自研究となるくらいであれば、便宜的であれ、現在の大会名に合わせた形にして、大会名の詳細については記事の冒頭で触れたほうがいいのではないかということです。
「・認知度が高い」についてですが、1921年度の第1回大会から順にカウントするというのは、日本サッカー協会発行の『天皇杯65年史』、『財団法人日本サッカー協会 75年史』、轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年1月号-10月号 No.20-29 において採用されており、それぞれ見出しにも使われています(「第○○回天皇杯全日本サッカー選手権大会」ではなく単に「第○○回」という表記ですが)。『日本サッカーのあゆみ』の本章部分においては、第2回以降は専ら単に「全日本選手権」または「全日本蹴球選手権」として言及されており、各大会ごとの詳細な名称はわかりませんでした。
第8回ア式蹴球全国優勝大会については、現在の文献で第8回として数えているのであれば、このままで問題無いと思います。
これについては、当時の文献では「第7回全日本ア式蹴球選手権大会」または「第七回全日本選手權サツカー大會」であり、現在では天皇杯全日本サッカー選手権大会の第8回大会としてカウントされているものですから、少なくとも「第8回ア式蹴球全国優勝大会」ではないはずです。
SuperTheSonicさんが第21回全日本総合蹴球選手権大会から第25回全日本総合蹴球選手権大会を「・認知度が高い」とする理由は申し訳ありませんがよくわかりませんでした。--Zemarcelo会話2015年5月4日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
賛成 下手に条件を付け加えていくと後からどんどん追加され混乱するだけですし、現在の大会名で揃えるのが手っ取り早いので、その改名案に賛成します。当時の正式名称は文章で処理したほうがスマートかと。--M9106TB会話) 2015年5月4日 (月) 16:26 (UTC)(追記)--M9106TB会話2015年5月5日 (火) 02:57 (UTC)[返信]
コメント 文献調査ご苦労様です。おおむねご提案内容には同意なのですが、「天皇杯」という冠名を考慮して、授与された第31回大会以降を「第○回天皇杯全日本サッカー選手権大会」、授与される前の第30回大会以前を「第○回全日本サッカー選手権大会」にするのはいかがでしょうか。--Kanko3131会話2015年5月5日 (火) 01:54 (UTC)[返信]
コメント Kanko3131さんと同様のアイディアも提案段階ですでに考慮はしました。もし他にも同様意見の方が多ければ、「第30回大会以前」について「天皇杯」を付けないとする案でもいいでしょう。--Zemarcelo会話2015年5月20日 (水) 06:20 (UTC)[返信]
コメント Zemarceloさんの疑問への返答としましては、wikipediaの編集方針でやってはダメですよという独自研究は、主として一次資料を根拠とした独自研究を禁止しているものなので、Zemarceloさんが大変苦労して集めてこられた各種文献における各大会の呼称は文献になってる時点で二次資料ですから、既存の二次資料の記述の中からどれを採用するのが妥当だろうかと検討するのは許された編集権の中でOKだと思います。まして独断で変えるのではなくて、ノートできちんと議論して合意されてればまったく問題なし。一括する名前に変更するのも同じことですし。表記ブレがある等については、refタグで脚注として示すのでいいと思います。一括した名前でも結局当時そうは呼ばれてなかった大会名を勝手に記事名に冠することになりますから。一括した名前にするのもwikipedia記事命名ルール上でNo Goodではない、とは思うんですけど。便宜上とか手っ取り早いというのは、編集者の都合の押しつけになっちゃって、読者の誤解を招かないという基本主旨からするとBetterではない、と思うところです。当時の呼称に沿った記事名にすると何度も第1回が出てきて天皇杯の歴史の中のどこなのかが分かりづらいのではという点については、既に各記事の下に貼られているテンプレートが整備されていますから、それを見れば天皇杯の歴史の中のどこの大会かはそんなに分かりづらくないと思います。せっかく既にあるものなので、頼ってもいいのではないかと。仮に可能な範囲で当時の呼称に近いものにするとすると、中止になった回の影響で翌年以降の開催回数がズレてきますけど、あくまでも中止をカウントしない当時の呼称に沿った名前にした上で、重複する第6回は中止になった方を「 (1926年)」で曖昧さ回避による対処もアリかと提案いたします。第27回-28回が大変困るところですが、「第27or28回全日本サッカー選手権大会」にするしかないかなと。私としては、そこまでサッカーの歴史・天皇杯の歴史に詳しくない読者がパッと記事をあけたとき、記事名と記事の書き出しを見て誤解をしない、というのが最も重要だと思うところです。--SuperTheSonic会話2015年5月9日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

報告 ここまで議論を横から眺めていましたが、中止となった大会の取り扱いについて疑問が出てきましたので、下に別の提案(統合またはリダイレクト化)を行いましたので、お知らせします。--Bsx会話2015年5月9日 (土) 03:26 (UTC)[返信]

コメント ずいぶん時間が経ってしまい申し訳ありません。今後、特に反対意見がなければ、一週間経過あたりを目処として各回記事の改名を実施する予定です。--Zemarcelo会話2015年6月9日 (火) 05:20 (UTC)[返信]
コメント 中止となった大会については記事を統合しリダイレクト化していますので、念のためお知らせしておきます。--Bsx会話2015年6月9日 (火) 12:13 (UTC)[返信]
コメント すべて移動しました。各年記事への加筆、修正もなるべく早いうちに行いたいと考えております。--Zemarcelo会話2015年6月18日 (木) 16:58 (UTC)[返信]

文献の調査結果

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今回の改名提案にあたって、以下の文献を調査しました。このまとめは私的なメモを基としており、人目に触れることを前提としていないため、読みくい箇所があると思います。ご了承ください。

  • 「サッカーの歴史」:轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年1月号-10月号 No.20-29。
  • 「天皇杯65年史」:鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。
  • 「あゆみ」:日本蹴球協会『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年。
  • 「運動年鑑」:朝日新聞社編纂『運動年鑑』。近代デジタルライブラリーより。http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%B9%B4%E9%91%91
  • 「蹴球」:日本サッカー協会機関誌『蹴球』。日本サッカー協会公式サイトより。http://www.jfa.jp/football_museum/reference.html
  • 1921 第1回
    • 「サッカーの歴史」:本文中に「ア式蹴球全国優勝競技会」、当時の新聞記事の引用として「全国ア式蹴球争覇戦」「日本選手権争覇蹴球大会」。轡田によれば「なお「本日の運動」欄には「日本選手権争覇ア式蹴球戦」とあって,全国優勝競技会とは書いていない。名称にこだわらず,新聞は勝手気ままにやっていたようである。」。
    • 「運動年鑑」:「全國蹴球大會」(309p)[3]
    • 「天皇杯65年史」:「ア式蹴球全国優勝競技会」(56p)
    • 「あゆみ」:以後「全国優勝競技会」(197p)
  • 1922 第2回
    • 「サッカーの歴史」:本文中に「第2回全国ア式蹴球優勝戦」。当時の新聞記事で関西予選について「大朝社(大阪朝日新聞社)後援極東大会ア式蹴球関西予選大会」とあり、轡田は「~とあるが、この“極東大会”がわからない。」
    • 「運動年鑑」:「全國蹴球大會」(222p)[4]
  • 1923 第3回
    • 「サッカーの歴史」:大会名称は冒頭に「第3回大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:「全日本ア式蹴球選手權大會」「第二回全日本蹴球大會」(520、522p)[5]
  • 1924 第4回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第1回明治神宮競技大会(ママ)」のサッカー競技(「ア式蹴球の部」)を兼ねて開催されたことには言及しているが、大会名称は冒頭に「第4回大会」「兼・第1回明治神宮体育大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:「第一回明治神宮競技大會」「ア式の部」(543、547p)[6]
    • 「あゆみ」:以後「明治神宮体育大会」(197p)
  • 1925 第5回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第2回明治神宮体育大会」のサッカー競技を兼ねて開催されたことは言及しているが、大会名称は冒頭に「第5回大会」「兼・第2回明治神宮体育大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:「第二回明治神宮競技大會」「アツソシエーシヨン」(369、374p)[7]
  • 1926 第6回(中止)
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権とは兼ねない「第3回明治神宮体育大会」のサッカー競技として開催される予定だったことにふれているが、大会名称は冒頭に「第6回大会」のみ
  • 1927 第7回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第4回明治神宮体育大会」のサッカー競技を兼ねて開催されたことは言及しているが、大会名称は冒頭に「第7回大会」「兼・第4回明治神宮体育大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:「第四回明治神宮體育大會」の「蹴球」「アツソシエシヨン」(339、346p)[8]
  • 1928 第8回
    • 「サッカーの歴史」:大会名称は冒頭に「第8回大会」とあるが、当時の新聞の引用として「第7回全日本ア式蹴球選手権大会」。轡田によれば「当時の記録では,この大会は「第7回全日本選手権大会」となっていた。これは大正15年の第6回大会が中止となったためである。中止の年次を回数に加えるようになったのは後のことで,当時は,中止を年次に加えなかったため,年次回数が違ってきているのである」。
    • 「運動年鑑」:「全日本サツカー選手權大會」「第七回全日本選手權サツカー大會」(207p)[9]
  • 1929 第9回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第5回明治神宮体育大会」のサッカー競技を兼ねて開催されたことは言及しているが、大会名称は冒頭に「第9回大会」「兼第5回明治神宮体育大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:「明治神宮體育大會」(276p)[10]
  • 1930 第10回
    • 「サッカーの歴史」:大会名称は冒頭に「第10回大会」のみ
    • 「運動年鑑」:「第九回全日本蹴球選手權大會」(217p)[11]
  • 1931 第11回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第6回明治神宮体育大会」のサッカー競技と「第1回全国地方対抗選手権大会」を兼ねて開催されたことに言及しているが、大会名称への冒頭に「第11回大会」「兼第6回明治神宮体育大会 兼第1回全国地方対抗選手権大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:回顧のなかに「從來全日本選手權大會と銘打つて行はれてゐたのは内容これに伴はずという理由の下に全日本地方對抗選手權大會と改稱されて行はれた」「兎まれ第六回明治神宮體育大會をかねて行はれた改稱第一回の全日本地方對抗選手權大會は」(275p)、記録のなかに「明治神宮體育大會蹴球競技」(278p)[12]
    • 「あゆみ」:以後「全日本全国地方対抗」(197p)
  • 1932 第12回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第2回全国地方対抗選手権大会」を兼ねて開催されたことは言及しているが、大会名称は冒頭に「第12回」「兼第2回全国地方対抗選手権大会」のみ。
  • 1933 第13回
    • 「サッカーの歴史」:全日本選手権が「第7回明治神宮体育大会」のサッカー競技と「第3回全国地方対抗選手権大会」を兼ねて開催されたことは言及しているが、大会名称は冒頭に「第13回」「兼第7回明治神宮体育大会 兼第3回全国地方対抗選手権大会」のみ。
    • 「運動年鑑」:回顧のなかに「第七回明治神宮體育大會に全國地方對抗蹴球選手權大會が併催された」(257p)、明治神宮体育大会の記録のなかに「蹴球競技は全日本地方對抗選手權大會を兼ね」とある(360p)。[13]
    • 「蹴球」:見出しに「全國地方對抗蹴球選手權大會」、本文に「第七回明治神宮體育大會蹴球競技は、大日本蹴球協會主催の全國地方對抗蹴球選手權大會を兼ねて」とある(6p)[14]
  • 1934 第14回(中止)
    • 「サッカーの歴史」:大会名称は冒頭に「第14回」のみ。
  • 1935 第15回
    • 「サッカーの歴史」:この年から「明治神宮体育大会」のサッカー競技とは別に新たに「全日本綜合選手権大会」が開催されたが、後年では「名実ともにこのほうを全日本選手権大会の正統とすることになっている。」という轡田の解説。冒頭には「第15回」「兼第1回全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第一回全日本蹴球選手權大會」(246p)[15]
    • 「蹴球」:「第一回全日本綜合蹴球選手權大會」(23p)[16]
    • 「あゆみ」:以後「全日本総合選手権大会」(197p)
  • 1936 第16回
    • 「サッカーの歴史」:冒頭に「第16回」「第2回 全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第二回全日本蹴球選手權大會」(245p)[17]
    • 「蹴球」:「第二回全日本蹴球選手權大會」(20p)[18]
  • 1937 第17回
    • 「サッカーの歴史」:冒頭には「第17回」「第3回 全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第三回全日本蹴球選手權大會」(247p)[19]
    • 「蹴球」:「全日本蹴球選手權大會」(3p)[20]
  • 1938 第18回
    • 「サッカーの歴史」:冒頭には「第18回」「第4回 全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第四回全日本蹴球選手權大會」(321p)[21]
    • 「蹴球」:「第四回全日本蹴球選手權大會」(2p)[22]
  • 1939 第19回
    • 「サッカーの歴史」:冒頭には「第19回」「第5回 全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第五回全日本蹴球選手權大會」(313p)[23]
    • 「蹴球」:「第五回全日本蹴球選手權大會」(1p)[24]
  • 1940 第20回
    • 「サッカーの歴史」:冒頭には「第20回」「第6回 全日本総合選手権大会」。
    • 「運動年鑑」:「第六回全日本蹴球選手權大會」(303p)[25]
    • 「蹴球」:「第六回全日本蹴球選手權大會」(1p)[26]
  • 1941-1945 第21回-第25回(中止)
    • 「サッカーの歴史」:大会名への言及なし。
    • 「運動年鑑」:第21回大会について「第七回全日本蹴球選手權大會は都合により中止」とある(155p)[27]
  • 1946 第26回
    • 「サッカーの歴史」:「復興第1回全日本選手権大会」「復活第1回全日本選手権大会」。
    • 「天皇杯65年史」:「復興第1回全日本選手権大会」。本文中に「この戦後の第1回大会は朝日新聞社が後援、優勝チームには「朝日楯」が贈られることになっていた。また大会の名称は「復興第1回全日本選手権大会」と銘打たれた」とある(112p)
    • 「あゆみ」:「復活全日本選手権大会」(198p)「朝日楯復活第1回」(200p)
  • 1947-1948 第27回-第28回(中止)
    • 「サッカーの歴史」:大会名への言及なし。
  • 1949 第29回
    • 「サッカーの歴史」:「いわゆる復興第2回全日本選手権大会」。冒頭に「第29回」。
    • 「天皇杯65年史」:「復興第2回全日本選手権大会」(116p)
    • 「あゆみ」:「朝日楯復活第2回」(200p)
  • 1950 第30回
    • 「サッカーの歴史」:大会名称は冒頭に「第30回」のみ
    • 「天皇杯65年史」:言及なし
    • 「あゆみ」:「朝日楯復活第3回」(200p)
  • 1951 第31回(この年より天皇杯授与始まる)
    • 「蹴球」:第三十一回全日本蹴球選手權大會(2p)[28]
    • 「あゆみ」:以後「天皇杯全日本選手権大会」(198p)

--Zemarcelo会話) 2015年5月4日 (月) 14:09 (UTC) 一部外部リンクを修正。--Zemarcelo会話2015年5月16日 (土) 13:55 (UTC)[返信]

中止大会の取り扱いについて

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改名提案に関する議論を眺めていて気になった点がありましたので、別の議論を立ち上げたいと思います。以下の大会は「史料において大会数としてはカウントされているが、大会そのものは中止となった回」で、いずれも個別に項目が立ち上げられています。

これらですが、いずれも概要がわずか2行あまり(特に第21回から第25回はほぼ同内容)、これに「その他の中止になった回」の説明が箇条書きであるだけと、単独記事としての特筆性に乏しいように思います。ついては、改名提案を機にこれらの記事を何らかの形で統合またはリダイレクト化すべきと考えますが、いかがでしょうか。--Bsx会話2015年5月9日 (土) 03:26 (UTC)[返信]

コメント 補足 これらの記事ですが、いずれも利用者:さんさんさんさん会話 / 投稿記録氏が2008年1月15日に他の天皇杯年次記事と共に半ば機械的に一斉作成したもののようです(いずれの記事も、当時からほとんど内容の加筆がありません)。ちなみに作成者は投稿ブロック依頼を経て無期限ブロックとなっています。--Bsx会話2015年5月9日 (土) 03:31 (UTC)[返信]

コメント そうですね、たとえば「中止となった全日本サッカー選手権大会」という1記事でもってこれら9回をまとめて触れる、という選択肢もありですね。変に今の記事を維持したまま改名するよりすっきりするようにも思えます。--SuperTheSonic会話2015年5月10日 (日) 13:25 (UTC)[返信]

コメント Bsxさんの提案に賛成します。中止大会をまとめた記事へ統合する案、天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会へのリダイレクトとする案、そのどちらでも良いと思います。--Zemarcelo会話2015年5月20日 (水) 06:20 (UTC)[返信]

提案 ここまで特に反対意見はありませんでしたので、正式に統合提案に移行したいと思います。SuperTheSonicさんからは別の1記事にまとめる提案も出されましたが、内容の粒度を勘案して統合しても単独記事にするほどの粒度が見込めないと判断し、私的には「天皇杯全日本サッカー選手権大会」に節を設けて統合する方向で提案したいと思います。--Bsx会話2015年5月22日 (金) 23:50 (UTC)[返信]

コメント 単独別記事化じゃないといけないという意見は持っておらずBsxさんの統合提案に即反対というわけではないのですけれど。「天皇杯全日本サッカー選手権大会」は現時点(Bsxさんのテンプレート貼り付けを除く)で88,505バイトの記事サイズがあり、これはわりかし大きめではないかと思われるものなので、ちょっと検索しましたが今の日本語wikipediaでは記事サイズに対する○○バイト以下推奨といったサイズ制限は存在しないようなものの、あえて統合してさらに1記事を大きくする方向はいいんでしょうか?っていう疑問があります。内容などについてではなく、あくまでも統合後の記事サイズが適正かという、どちらかというと技術的な疑問です。--SuperTheSonic会話2015年5月25日 (月) 12:49 (UTC)[返信]

SuperTheSonicさん) 私自身の見立てとしては、各記事のバイト数がおおむね1600バイト前後で、内容的にもほとんど重複していますから、9つの記事を全部まとめても増分的には3000バイトそこそこではないかと見繕っています(重複記述やテンプレートが増えないので)。なので、逆に単独記事にする方が記事のボリューム的に乏しいのではないかとの懸念の方が大きいです。--Bsx会話2015年5月25日 (月) 13:16 (UTC)[返信]

報告 半月ほど待って、特に異論がなかったため統合しました。結果的に箇条書きで済んだので、500バイトほどしか増えていません。--Bsx会話2015年6月9日 (火) 12:12 (UTC)[返信]

優勝回数について

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このことについて、ここ数日利用者:ゼロツー会話 / 投稿記録さんと利用者:Takayanyan会話 / 投稿記録さん及びIP:110.233.85.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏の間で統計節の記述を巡って編集合戦が生じています。具体的には大学チームについて「現役学生のみで構成されたチーム」と「学生・OB混成チーム」(例えば「慶應義塾大学」と「慶応BRB」「慶應クラブ」)を一括して扱うか否かを巡って議論なく編集と差し戻しが繰り返されている状況にあります。

私自身、公式記録がどういう扱いになっているかが判然としないので何とも言えないのですが、基本的には公式記録集の記述にそろえるべき(今までの経緯を踏まえると一括記述扱いになっていた可能性が高い)だと考えますが、いかがでしょうか。--Bsx会話2015年6月14日 (日) 06:52 (UTC)[返信]

集計にあるように天皇杯では、日産とマリノスのように関連したチームの成績をまとめているようです。実際去年優勝したガンバも松下時代を含めた4回目の優勝として扱われていました。なので私は現在の形が正しいと考えております。あとこの一件に関与した上記で上げられている両氏は、編集の傾向から同一人物と見て間違いないでしょう。--ゼロツー会話2015年6月14日 (日) 07:06 (UTC)[返信]
少なくともJリーグクラブについては同意するのですが、大学チームに関しては(ここ数年優勝がないため、というのもあるのですが)統計したものがどうなっているか「わからない」というのが実情ではないでしょうか。多重アカウントか否かについてはここでは判断しません。--Bsx会話2015年6月14日 (日) 07:12 (UTC)[返信]
大学チームについて『天皇杯65年史』(鈴木武士編著、日本サッカー協会、1987年)、『最新サッカー百科大事典』(日本サッカー協会・日本サッカーライターズ協議会編、大修館書店、2002年)をあたってみましたところ、とくに区別することなく合算しているようです。
『天皇杯65年史』から一例を挙げますと、第4回の「広島一中鯉白クラブ」、第5回の「鯉城蹴球団」の優勝をふまえて、第7回の「鯉城クラブ」について「鯉城は3連覇を逸する」(74p.)、第12回の「慶応クラブ」、第16回の「慶応BRB」の優勝をふまえて、第17回の「慶応大学」について「慶大は3度目の優勝」(94p.)、また「慶応BRB」が優勝した第34回について「慶応は(…)8度目の優勝を遂げた」(130p.)、ほかに第43回大会で「早大の優勝は18回大会(昭和13年)以来3回目」(150p.)とありますが、これも早大、早稲田WMWを合わせてのものでしょう。
『最新サッカー百科大事典』においても大学とクラブについて合算しており、例えば慶応BRBが優勝した第36回について「~9度目の優勝を飾った。この最多優勝記録は,現在も破られていない」(333p.)としています。--Zemarcelo会話2015年6月14日 (日) 09:23 (UTC)[返信]
大学チームについて、現役学生のみと、OB含めたチームは別でしょう!チーム名も別ですし。
Jリーグクラブの統計の仕方がバラバラ。Jリーグ各チームのページには、別にしていますし、天皇杯の統計では一括にしてみたり。Jリーグは、企業チームの前身があって、Jリーグチームになっているので、Jリーグ各チームのページでも、天皇杯の統計どおり、前身時代を含んでの統計にすべきです。--以上の署名のないコメントは、Takayanyan会話投稿記録)さんが 2015年6月23日 (火) 01:55‎ (UTC) に投稿したものです(Bsx会話)による付記)。(インデント修正済み)[返信]
Takayanyanさん) あの、大学チームの扱いとJリーグクラブの扱いで、矛盾したことをおっしゃっているのがおわかりになりますか?
大学チームについては「現役学生のみのチーム」と「OBを含めたチーム」を(チーム名が異なっていても)一連の成績として扱っていることが複数の書籍で確認できるようです(Zemarceloさんの2015年6月14日 (日) 09:23 (UTC) のコメント参照)。なので、成績も一連で扱うのが適切でしょう。[返信]
一方、Jリーグクラブについては、天皇杯の統計では(前身チームから)一括で扱っているのは確かですので、このページでは一連の成績として扱うべきでしょう。が、これを日本プロサッカーリーグノート / 履歴 / ログ / リンク元に持ち込むのは、Jリーグ自体が1993年から発足しているのに、それ以前の戦績を含めるのは不適当と考えます。あちらの記事はあくまでもプロ発足後の1993年(正確にはナビスコカップのみ1992年)からの成績で集計するのが妥当だと考えます。--Bsx会話2015年6月23日 (火) 10:57 (UTC)[返信]

報告 本日、IP:122.134.99.216会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏により「出場チーム名別成績」という項目が新たに書き加えられました(差分)が、これを除去しました。本議論を無視した非公式な統計かつ独自研究であり、不要と判断しています。--Bsx会話2015年10月10日 (土) 03:15 (UTC)[返信]


第95回天皇杯の公式プログラムには「記録で振り返る天皇杯/天皇杯データランキング」というページがあります。「優勝回数上位5チーム」の項目では、1位 慶應BRB(別名称 慶應クラブ/全慶應)8回、2位 関学クラブ(別名称 全関学)7回などとなっています。また、「決勝得点数上位5人」の項目では、1位 二宮洋一(チーム別得点数 慶應義塾大学2、慶應BRB/全慶應6)となっています。このことから、大学チームの取り扱いは現役生チームとOB混成チームは別の扱いの様です。なお、第95回大会に於いて兵庫県代表として出場している関西学院大学は出場回数25回ですが、第11 13 16 18 19 20 42 44 45 46 47 76 77 78 80 81 82 83 89 90 92 93 94 95回に、出場しています(24回しかない?)。一方で関学クラブは、第9 10 32 34 36 37 38 39 40 41回に、全関学は第30 31 33 35回に出場していますので、出場回数でも別に取り扱っている様です。--Dabbler~jawiki会話2015年11月15日 (日) 08:02 (UTC)[返信]

改名提案

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第98回天皇杯全日本サッカー選手権大会#概要にも記されていますが、2018年の大会より名称を「天皇杯 JFA (第◯回)全日本サッカー選手権大会」へ変更するとのことです。ちなみにJFAによる大会要項([29])やJFA公式サイトの「大会・試合」のタブでも「天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会」と記載されています。よって、上記の記事名へ変更することを提案いたします。--Kanko3131会話2018年2月27日 (火) 02:42 (UTC)[返信]

提案 今回の名称変更は天皇杯にとどまらずJFA主管大会の全部に行き渡る話ですので、単独で改名提案を行うより関連大会一括で議論すべき事案と考えます。もし差し支えなければ議論の場をプロジェクト‐ノート:サッカーに移そうと思いますが、いかがでしょうか。--Bsx会話2018年2月27日 (火) 11:06 (UTC)[返信]
コメント よろしくお願いいたします。--Kanko3131会話2018年2月27日 (火) 11:44 (UTC)[返信]
報告 プロジェクト‐ノート:サッカー#JFA主管大会の改名提案に議論の場所を設けました。--Bsx会話2018年2月27日 (火) 13:54 (UTC)[返信]

1992年度の大会について

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記録によってあやふやな点があるのですが、1992年度の大会はJリーグの公式記録(赤本)にはプロ化以降の大会として記録されています。そもそも1992年度の天皇杯の前に開催されている1992年ナビスコ杯もプロ大会として集計されています。 とくに異論が無ければ1992年の大会はプロ化後の記録として入れたいと思います。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 04:56 (UTC)

これが非常に悩ましいところで、Jリーグ公式サイトの「歴代優勝チーム一覧」(https://www.jleague.jp/emperorscup/2021/history.html )には優勝「日産FC横浜マリノス」準優勝「読売ヴェルディ」となっていて、クラブのアイコンが表示されておらず、Jリーグクラブとして出場したと見なしがたい表記になっています。YEARBOOKの何ページにそのような表記があるかご教示いただければ調べたいと思います。--Bsx会話2021年12月19日 (日) 05:50 (UTC)[返信]

それを言えば横浜フリューゲルスもエンブレムが。赤本は歴代優勝チーム一覧見ればそこに。 1992年はリーグ杯ヴェルディ川崎、天皇杯横浜マリノス、リーグなし。 1993年はリーグ杯ヴェルディ川崎、天皇杯横浜フリューゲルス、Jリーグヴェルディ川崎と。 明日の新聞にもそう言う表記が出るかと。 ちなみに1995年まで正式名は「日産FC横浜マリノス」です。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 07:11 (UTC)

さらに言えば1992年11月23日決勝のJリーグ杯がカウントされ、1993年1月1日決勝の天皇杯をカウントしないのは矛盾していることになります。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 07:14 (UTC)

横浜フリューゲルスに関しては、現存するクラブではないのでエンブレムが表示されていないという事情があろうかと思います(現に、1988年度の第78回大会でもエンブレムは表示されていない)。一方で、1993年度(第73回大会)の優勝クラブは「ASフリューゲルス」ではなく「横浜フリューゲルス」表記です。ちなみにJFA公式サイトでも(エンブレム表記はないものの)同じ表記になっています(http://www.jfa.jp/match/emperorscup_2021/history.html )。Jリーグカップと天皇杯は主催団体が違うのと、そもそも「Jリーグ発足後の優勝成績」の集計がないので、この表示対が適正かどうかという問題もあります。--Bsx会話2021年12月19日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

件の欄は「プロ化以降の区切り」と理解すべきと思うのですが。でないのなら何のための区切り?1992年11月決勝のリーグ杯はプロで、1993年1月決勝の天皇杯はアマ、なんですか?ご覧になればおわかりの通り、Jリーグ公式本(赤本)では天皇杯は1991年度と92年度で区切ってます。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 07:43 (UTC)

主催団体がどう取り扱っているか、の違いでしかないと思っているので、それ以上でもそれ以下でもないです。繰り返しますが、「Jリーグ発足後の優勝成績」の(出典となり得る)集計がないので、この表そのものが適正かどうかという問題もあります。--Bsx会話2021年12月19日 (日) 07:49 (UTC)[返信]

チーム名に関しては92年ナビスコ杯と天皇杯では以下の通りでエントリーしてます。 三菱浦和フットボールクラブ(浦和レッドダイヤモンズ) 東日本JR古河サッカークラブ(ジェフユナイテッド) 読売日本サッカークラブ(読売ヴェルディ) 日産FC横浜マリノス 全日空佐藤工業サッカークラブ(ASフリューゲルス) パナソニックカンバ大阪 1993年3月にJリーグは呼称から企業名を外す通達を出しました。過去の記録としてもJリーグ主催の92年ナビスコカップからはASフリューゲルス、読売ヴェルディの名前は消されました。しかしJFA主催の天皇杯ではそんなことは出来ず読売ヴェルディ、パナソニックカンバ大阪のまま記録が残ってるだけです。クラブの組織としてはまったく同じですが。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 07:51 (UTC)

出展は「Jリーグイヤーブック」(通称赤本)の歴代優勝クラブの一覧表です。天皇杯も1991年と1992年で区切っています。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 07:55 (UTC)

主催団体の一つであるNHKが第72回大会をこのように言及しています(https://www3.nhk.or.jp/sports/special/soccer-emperorscup/history/72/ )。「Jリーグ開幕を半年後に控え、有力チームは既にプロチームに衣替え。日本サッカー界がこれまでにない注目を集める中で開催されたこの大会は、史上始めてプロ・アマ混在の大会となりました。日本リーグとJリーグカップはヴェルディ川崎が獲得。(中略)カップ戦に強い日産(横浜)の本領発揮で、2年連続6回目の優勝を果たし、プロチームとして初の天皇杯を手にしました。」、なんとも微妙な言い回しであり、明確に1992年大会をJリーグ発足後と位置づけていないことが見て取れると思います。いずれにしましても「Jリーグ発足後」を1992年とする資料も1993年とする資料も判然としない状態であると言うことは指摘させていただいた上で、私からはこれ以上申し上げません。--Bsx会話2021年12月19日 (日) 08:40 (UTC)[返信]

1992年度の大会は「Jリーグクラブ」としてオリジナル10がシードされてますね。 やはり92年11月のナビスコカップがプロで93年1月の天皇杯はアマに戻った、と言うのは無理があるでしょうね。 r390gt1 2021年12月19日 (日) 14:24 (UTC)

「私からはこれ以上申し上げません」といったそばからあれですが、1992年のナビスコカップは(Jリーグが主催する初の公式戦であることは確かですが)翌年始まるJリーグの『プレ大会』であり、1993年からのリーグ戦発足に先立って行われた大会であるので、そこに固執すると「Jリーグの発足は1992年である』というミスリードを招きかねない、ということだけは申し添えておきます。--Bsx会話2021年12月19日 (日) 23:04 (UTC)[返信]

独自研究の排除について

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利用者:ソイルソイルピーコック会話 / 投稿記録氏により、様々な「統計」データが追記されましたが、出典が無いばかりか第三者の言及のないものばかりであり(特に「通算出場回数」の『22位以降はJリーグクラブと第96回大会以降に出場したチームを記載』、「歴代初出場チーム」の項目)、一律除去しました。また、「連続出場記録」に関しても第100回大会(2020年度)が新型コロナウイルス感染症の影響で出場資格に著しい制限がかかっていることから参考記録の意味合いが強くなったと判断して除去していますので、合わせてお伝えします。--Bsx会話2024年5月13日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

重ねて申し上げますが、連続出場回数は第100回大会(2020年度)に出場できたか否かで記録が大きく変わり(実際、現状の記録は99回大会まででストップしているものがほとんどです)、参考記録の意味合いが強くなっていますし、実際に連続出場に関する言及は皆無です。コメントアウトしています。--Bsx会話2024年5月14日 (火) 12:01 (UTC)[返信]